私の長男は、2003年4月14日に誕生しました。
体重は2,000g未満の、32週目に生まれた小さな赤ちゃん。
まだお腹にいたかったのに無理矢理出され、必死に呼吸をする様は痛々しかった、と主人から聞かされたとき、申し訳ない思いでいっぱいで、泣きそうになりました。
大変な思いをたくさんした長男も高校を卒業して、自分の夢を叶えるために専門学校に進学します。
今回は、そんな私の長男をご紹介します。
生まれたときに脳にダメージを負った
本来は6月に生まれるはずだった長男は、へその緒が首に2回絡まり、このままだと胎内で亡くなってしまうと判断されて、帝王切開で誕生。
その時、脳にダメージを負い「脳室白質周囲軟化症」と診断されました。
脳室周囲白質軟化症とは、早産、あるいは低体重出生児に見られる脳室周囲に軟化病巣がみられる病気で、脳性まひの原因の一つとも考えられています。
長男も、このことが原因で軽度ですが身体にまひが見られます。
そのため、幼い頃から苦労しました。
歩き出したのは2歳の誕生日を迎える頃、保育園でも他の子と同じように走ることができず、何度も悔しい想いをしています。
それでも、負けん気の強さから諦めずに最後まで走り、投げ出したくなるような細かい作業も、一生懸命続けていました。
高校を卒業した今でも、その性格は変わりません。
親の私も見習いたいと思っている部分です。
たくさんの人に喜んでもらう農家になりたい
長男の夢は「たくさんの人に喜んでもらう農家になる」。
きっかけは、家庭菜園で野菜を作っていた祖父から野菜をもらい、おいしさと新鮮さに感動したこと。
更に、日本の農業が危機に立たされていることを知り、こんなにも素晴らしい職業がなくなってしまうのは悲しい、と、自ら道を選びました。
小学生の時にはすでに農家になりたいと言っていた長男。
高校生でも進路を決めるのは難しいのに、そんな幼い頃からはっきりと未来を見据えていたのは、親バカかもしれませんが素晴らしいと思います。
夢を打ち砕く厳しい現実
しかし、その夢も生まれ持った障害のため、苦しい選択を迫られます。
普段は親思いの優しい子ですが、この時ばかりはそのように生んだ母を恨んだのでしょう。
なるべく傷つけないように言葉は選んでいましたが、苦しくなるような思いを私もしました。
それでも、長男は持ち前の強さで前を向きました。
その記録を残させてください。
希望していた学校から「NO」を突きつけられる
農家への夢を持って以来、ずっと希望していた学校からは、はっきりと「NO」を突きつけられました。
ショックで泣きじゃくり、立ち直れないほどにまで落ち込みました。
しかし、「それでも諦めたくないんだよ!」と叫び、親や学校と相談して、受け入れてくれる専門学校を見つけて受験し、見事に合格しました。
「卒業後の進路の保障はできない」「それでも僕は諦めない!」
専門学校からも、「卒業後の進路については保証できない」と言われました。
しかし、「それなら自分で就職先を見つける!」と夢を絶対に諦めない姿勢に、私の方がたくさんのことを学んでいます。
その姿に旦那も共感し、今から卒業後の進路をいっしょに探し始めています。
そして、4月からひとり暮らしをすることになり、今まで親任せにしていた家事を身につけるために奮闘。
親としていろいろ手や口を出したくなるときもありますが、ここはグッと我慢。
長男の思うがままにやらせています。
追い続ける夢を応援したい
これから、どんな風に育っていくのか、楽しみでもあり不安でもあります。
それでも、ハンディキャップを持っていても諦めずに、自分と向き合い、進路を選べる長男を応援したい気持ちでいっぱいです。
近頃の高校生は自分の進路をしっかりと見据えることができない、などと言われますが、長男は本当に小さい頃から、自分の将来を考えていました。
今後の成長を、私たち親も楽しみにし、これからも、親として精一杯支えてあげたいと思っています。